栂尾の上人道を過ぎ給ひけるに
一言でいうと
馬を追う「あしあし」の声にも、上人は仏の教えを聞いて感涙した。
原文
栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、
河にて馬洗ふおのこ、「あしあし」と言ひてければ、
上人、立ち止まりて、
「あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。
いかなる人の御馬ぞ。
あまりに尊く思ゆるは」と尋ね給ひければ、
「府生殿の御馬に候ふ」と答へけり。
「こは、めでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。
嬉しき結縁をもしつるかな」とて、
感涙をのごはれけるとぞ。
現代語訳
栂尾の上人が道を通りかかった時、川で馬を洗っていた男が「あし、あし」と声をかけた。上人は立ち止まり、「ああ、尊いことだ。前世からの善い因縁が開花した人なのだな。阿字、阿字と唱えている。どなたの馬か。あまりに尊く思われる」とお尋ねになった。男が「府生殿のお馬でございます」と答えると、「これはすばらしい。阿字本不生(すべては本来、生じも滅しもしないという教え)ということなのだろう。ありがたい仏縁も結んだものだ」と言い、感動の涙をぬぐわれたという。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)