四条黄門命ぜられていはく龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり
一言でいうと
笛の音の良し悪しは穴の構造だけでなく、吹き手が息で整える技量による。
原文
四条黄門、命ぜられていはく、
「龍秋は、道にとりてはやんごとなき者なり。
先日来たりていはく、
『短慮の至り、極めて荒涼のことなれども、横笛の五の穴は、いささかいぶかしき所の侍るかと、ひそかにこれを存ず。そのゆゑは、干の穴は。平調。五の穴は下無調なり。その間に勝絶調を隔てたり。上の穴、双調。次に鳧鐘調を置きて、夕の穴、黄鐘調なり。その次に鸞鐘調を置きて、中の穴、盤渉調、中と六とのあはひに、神仙調あり。かやうに間々に、みな一律を盗めるに、五の穴のみ、上の間に調子を持たずして、しかも間をくばること等しきゆゑに、その声不快なり。されば、この穴を吹く時は、必ずのく。のけあへぬ時は、ものに合はず。吹き得る人かたし』と申しき。
料簡の至り、まことに興あり。先達、
後生を恐ると言ふこと、このことなり」と侍りき。
他日に景茂が申し侍りしは、
「笙は調べおほせて持ちたれば、ただ吹くばかりなり。
笛は、吹きながら、息のうちにて、
かつ調べもてゆくものなれば、穴ごとに、
口伝の上に性骨を加へて心を入るること、
五の穴のみに限らず。
ひとへにのくとばかりも定むべからず。悪しく吹けば、
いづれの穴も心よからず。上手はいづれをも吹きあはす。
呂律のものにかなはざるは、人の咎なり。
器の失にあらず」と申しき。
現代語訳
四条黄門がおっしゃった。「龍秋は、音楽の道ではたいへん優れた人物である。先日やって来て、こう言った。『浅はかな考えで、ひどくとりとめのない話ではございますが、横笛の第五の穴には、少し疑問があるようにひそかに思います。というのも、干の穴は平調、五の穴は下無調で、その間に勝絶調を隔てています。上の穴は双調で、次に鳧鐘調を置いて、夕の穴が黄鐘調です。その次に鸞鐘調を置いて、中の穴が盤渉調、中の穴と六の穴との間には神仙調があります。このように、穴と穴の間にはどれも一律ずつ音が省かれているのに、五の穴だけは上の穴との間に別の調子を持たず、それでも穴の間隔は等しいため、その音が不快になります。だから、この穴を吹く時には必ず音程を下げます。下げきれない時には曲に合いません。うまく吹ける人はめったにいません』と申した。その考察は実に興味深い。先達が後から生まれた者の才能を恐れるというのは、このことだ」とおっしゃった。別の日に景茂が申したことは、こうである。「笙はあらかじめ調律を済ませて持つので、あとはただ吹くだけです。笛は、吹きながら息の中で音程を整えていくものなので、どの穴にも、口伝に加えて吹き手の生まれつきの才能を働かせ、心を配る必要があります。それは五の穴だけではありません。一概に音程を下げればよいとも決められません。下手に吹けば、どの穴の音もよくありません。名人はどの音も調和させて吹きます。音律が曲に合わないのは人の落ち度であって、楽器の欠点ではありません」と申した。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)