建治弘安のころは祭の日の放免の付け物に
一言でいうと
祭りの飾りは派手さを競いすぎ、担ぐ本人が苦しむ見苦しいものになった。
原文
建治・弘安のころは、祭の日の放免の付け物に、
異様なる紺の布の五反にて、馬をつくりて、
尾髪には灯心をして、蜘蛛の網描きたる水干に付けて、
歌の心など言ひて渡りしこと、
つねに見及び侍りしなども、
興ありてしたる心地にてこそ侍しか」と、
老いたる道志どもの、今日も語り侍るなり。
このごろは、付け物、年を送りて、
過差ことのほかになりて、よろづの重き物を多く付けて、
左右の袖を人に持たせて、みづからは鉾をだに持たず、
息つき苦しむありさま、いと見苦し。
現代語訳
建治・弘安のころ、祭りの日に放免(検非違使庁に仕えた下級役人)が身につける飾りには、風変わりな紺の布五反で馬を作り、尾とたてがみには灯心を使い、蜘蛛の巣を描いた水干に付け、歌の意味になぞらえて練り歩くものがあった。「そうした姿をいつも目にしていましたが、趣向があっておもしろく作られていると感じたものです」と、年老いた道志(放免たちをまとめる役人)たちが今も語っている。近ごろの飾りは、年を追うごとに度を越して華美になり、あらゆる重い物をたくさん付け、左右の袖を人に持たせ、自分では鉾さえ持たず、息を切らして苦しんでいる。その様子はたいへん見苦しい。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)