そらんじ徒然草

主ある家にはすずろなる人心のままに入り来ることなし

一言でいうと
心に主人がいないから、思いは次々と勝手に入り込んでくる。
原文
主ぬしある家には、すずろなる人、
心のままに入いり来ることなし。
主あるじなき所には、道行人みちゆきびと、みだりに立ち入り、
狐きつね・ふくろうやうの物も、人気ひとげに塞せかれねば、
所得顔ところえがほに入いり住み、木霊こだまなどいふ、けしからぬ形も、
あらはるるものなり。
また、鏡には、色・形なきゆゑに、
よろづの影来きたりて映る。
鏡に色・形あらましかば、映らざらまし。
虚空こくうよく物を入いる。
われらが心に、念々ねんねんの、ほしきままに来きたり浮ぶも、
心といふもののなきにやあらん。
心に主ぬしあらましかば、胸の内に、若干そこばくのことは、
入いり来きたらざらまし。
現代語訳
主人のいる家には、関係のない人が勝手気ままに入ってくることはない。主人のいない所には、通りすがりの人がむやみに立ち入り、狐やふくろうのようなものも人の気配に妨げられないため、わが物顔で住みつく。木霊などという怪しい姿まで現れるものだ。また、鏡にはそれ自体の色や形がないから、あらゆるものの姿がやって来て映る。もし鏡に固有の色や形があったとしたら、ほかの姿は映らないだろうに。何もない空間は、よく物を受け入れる。私たちの心にも、一瞬一瞬の思いが気ままにやって来て浮かぶ。それは、心という確かなものが本当はないからだろうか。もし心に主人がいたとしたら、胸の内にこれほど多くの思いが入り込むことはないだろうに。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)
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