そらんじ徒然草

名を聞くよりやがて面影は推し量らるる心地するを

一言でいうと
人の顔も昔の情景も、想像どおりではないのに、時おり不思議な既視感だけが訪れる。
原文
名を聞くより、やがて面影おもかげは推し量らるる心地ここちするを、
見る時は、
またかねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。
昔物語を聞きても、
「このごろの人の家の、そこほどにてぞありけん」と思えて、
人も今見る人の中に思ひよそへらるるは、
誰もかく思ゆるにや。
また、
いかなる折ぞ、ただ今、人の言ふことも、
目に見ゆるものも、わが心の内も、
「かかることのいつぞやありしか」と思えて、
いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、
わればかりかく思ふにや。
現代語訳
人の名を聞くと、すぐにその人の顔立ちまで想像できるような気がするのに、実際に会ってみると、前もって思い描いたとおりの顔をした人などいない。昔の物語を聞いても、「今のあの人の家がある、あの辺りで起きたのだろう」と思われ、登場人物も今目にする人々の中の誰かに重ねて想像される。これは誰もがそのように感じるのだろうか。また、いつのこととも知れないが、たった今人が話していることも、目に見えているものも、自分の心の動きも、「これと同じことが、いつだったかあった」と思われることがある。いつかは思い出せないのに、確かにあったという気がするのは、私だけがこう感じるのだろうか。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)