そらんじ徒然草

つれづれわぶる人はいかなる心ならん

一言でいうと
孤独を退屈がるより、世間の雑事から離れて静かに心を休めるほうがよい。
原文
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。
まぎるるかたなく、ただ一人あるのみこそよけれ。
世に従へば、心、ほかの塵に奪はれて惑ひやすく。
人にまじはれば、言葉、よその聞きにしたがひて、
さながら心にあらず。
人にたはぶれ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。
そのこと、定れることなし。
分別ふんべつみだりに起りて、得失とくしつやむ時なし。
惑ひの上にへり、ひの中に夢をなす。
走りて急がはしく、れて忘れたること、人、
みなかくのごとし。
いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて、
身をしづかにし、事にあづからずして、
心をやすくせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
生活しやうくわつ人事にんじ伎能ぎのう学問等がくもんとう諸縁しよえんをやめよ」とこそ、摩訶止観まかしくわんにもはべれ。
現代語訳
何もすることがなくてつらいという人は、いったいどんな心なのだろう。気を紛らわせるものもなく、ただ一人でいるのがよい。世間に合わせれば、心は外の俗事に奪われて迷いやすい。人と交われば、言葉は他人の受け取り方に左右され、まったく本心のままではいられない。人とふざけ、物事を争い、ある時は恨み、ある時は喜ぶ。その心は少しも定まらない。分別がむやみに起こり、損得への思いがやむ時もない。迷いの上に酔い、酔いの中で夢を見る。走り回ってせわしくしながら、ぼんやりして大切なことを忘れている。人はみなこのようなものだ。まだ本当の道を知らなくても、さまざまな縁を離れて身を静かにし、物事に関わらず心を安らかにすることこそ、ひとまず楽しみといってよい。「暮らし・人づきあい・技能・学問など、あらゆる縁をやめよ」と『摩訶止観』にもある。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)