そらんじ徒然草

羅の表紙はとく損ずるがわびしきと人の言ひしに

一言でいうと
何もかも完璧にそろえるより、傷や欠けや未完成があるほうが味わい深い。
原文
うすものの表紙は、とく損ずるがわびしき」と人の言ひしに、
頓阿とんあが、
「羅は上下かみしもはつれ、螺鈿らでんの軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と申しはべりしこそ。
心まさりて思えしか。
一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを、
見にくしといへど、弘融僧都こうゆうそうづが、
「物を必ず一具いちぐにととのへんとするは、
つたなき者のすることなり。
不具なるこそよけれ」と言ひしも、
いみじく思えしなり。
「すべて、何もみな、
ことのととのほりたるは悪しきことなり。し残したるを、
さてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり。
内裏造だいりつくらるるにも、
必ず作り果てぬ所を残すことなり」と、
ある人申し侍りしなり。
先賢せんけんの作れる内外ないげの文にも、
章段しやうだんの欠けたることのみこそ侍れ。
現代語訳
「薄絹の表紙はすぐ傷むのが残念だ」と人が言ったところ、頓阿が「薄絹は上下がほつれ、螺鈿の巻物の軸は貝が落ちてからこそすばらしい」と申したのは、聞いていっそう心を引かれた。一揃いの草子などで、各冊の姿が同じでないのを見苦しいというけれど、弘融僧都が「物を必ず一式そろえようとするのは、未熟な者のすることだ。そろっていないのがよい」と言ったのも、まことにすばらしく思われた。「総じて何事も、すべて整いきっているのはよくない。やり残したところをそのまま置いてあるのは面白く、これから先も続く感じがする。宮中を造営する時にも、必ず完成させない場所を残すものだ」と、ある人が申した。昔の賢人が著した仏教書やその他の書物にも、章や段の欠けたものばかりがある。
全244段の目次
底本: 烏丸光広本『徒然草』校訂本文(やたがらすナビ・CC BY-SA 4.0)